西城秀樹 人気曲ベスト50
西城秀樹は「歌謡曲の時代」を築いた人物の一人で、J-POPの原型を作ったパイオニアであり、日本のロックヴォーカリストの先駆者でもある。
1955年4月13日生まれ、広島県広島市出身
2018年5月16日、横浜市内の病院にて心不全の為死去、享年63歳。
1972年3月、シングル「恋する季節」でデビュー。
1973、74年と、ポピュラー系の歌手として初めて、2年連続で日本レコード大賞歌唱賞の受賞など、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれる。
1974年、ホームドラマとして人気を博したTBS系列テレビドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演。同年、松竹映画『愛と誠』に初主演するが、映画化されると聞いて原作者の梶原一騎に直談判し、主役の「太賀誠」役を勝ち取った話は有名。
1979年、シングル「YOUNG MAN」では、観客も一体となって参加しやすいようにアクションも工夫され、ディスコミュージックのブームとも重なり、自身のシングルでは最高セールスを記録。
1973年から12年間、ハウス食品の「バーモントカレー」の広告に出演し「ヒデキ、感激!!」、「ヒデキ、ご機嫌!!」、「ヒデキ、満足!!」など数々のキャッチコピーが人気を呼び、カレーライスの国民食押し上げに貢献。
1983年の独立後は、「ギャランドゥ」に代表されるような歌謡曲の枠を超えた、ロック系、バラード系の曲に取り組む。
独立と前後して、1980年代から香港で公式にコンサートを行うなど、人気はアジア圏へ拡大。ジャッキー・チェンとならぶ2大スターとも称されている。
2003年、韓国での公演直前に脳梗塞を発症。しかし、損傷した神経の周囲を鍛えるトレーニングに取り組む。
2006年、3年ぶりに新作CDをリリース。その後も回復傾向に向かい、年々コンサート本数も増えていた。
2011年に脳梗塞を再発が判明するが、リハビリ注力し、再びステージに立つまでに回復。
新御三家の中でも彼は、長髪で、ロックと距離感の近い楽曲を激しいアクションで歌うスタイルはは、それまで歌番組のメインだったスーツ姿で直立不動の歌手たちとは全く違うスタイルをしていた。
軽量スタンドマイクを使う「スタンドマイク・アクション」を誕生させ、ハスキーな声でシャウトする歌唱は、後の日本のロック・ヴォーカルのスタイルにも多大な影響をもたらした。
また、「洋楽カバーの第一者」とも評され、スティーヴィー・ワンダーやバリー・マニロウらと交流し、「誰のカバーであっても真似をせずに、自身のスタイルですること」を最も重要視し、ライブなどでも積極的に洋楽カバーをおこなった。
「僕はポップスもロックも一緒だと思ってる。歌謡ロックや歌謡ポップス、歌謡ヘビーメタルがあったっていいじゃない」「当時のロックって言ってたのはロックじゃない。全部歌謡ロックだろ」などと話し、歌謡曲やロックの歴史を別々に論じたがる日本の音楽ジャーナリズムに苦言を呈する。
まさに歌謡曲全盛時代を駆け抜けた稀有なスター歌手であった西城秀樹。
歌だけでなく、最後まで生きることへの真摯な姿。
多くの感動をありがとう。
心よりご冥福をお祈りします。
西城秀樹(さいじょう・ひでき) 人気曲ベスト50
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更新日:2018/05/16
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